
本日、12月12日は、『アイドルマスターシンデレラガールズ』に登場するアイドルの一人である塩見周子さんの誕生日です。
周子Pにとって、喜びに満ちた一日になることかと思いますが、やはり、一流のプロデューサーたるもの、「担当の誕生日に、過去のプロレス界で何が起こっていたか?」というトピックは頭に叩き込んでおくべきかと思います。
例えば、島村卯月さんに、いきなり、
「ところでプロデューサー、私の誕生日(4月24日)って、プロレス界では、どんな事件があったんですか?」
って聞かれて、
即座に、
「あぁ、その日はね、新日本プロレスが、初の東京ドーム大会『’89格闘衛星☆闘強導夢』を開催したんだ。メインイベントで、ショータ・チョチョシビリとのシングルマッチに挑んだアントニオ猪木は、円形リングを初披露して観客のド肝を抜いたけど、チョチョシビリの裏投げ連発を受けて、格闘技戦で初のKO負けを喫したんだよね」
とか、答えられますか!? キチンと答えられますか、貴方は!?
その予備知識が無かったばかりに、せっかく上げたアイドルの親愛度が急降下……。そんな悲劇があってはいけない……絶対に、あってはいけないんです!
ということで、周子Pの皆さんに、彼女の誕生日にプロレス界で起こった事件……ズバリ、お教えしましょう! この日は、「パキスタンのカラチで、地元の英雄であるアクラム・ペールワンとアントニオ猪木が異種格闘技戦で激突。猪木がペールワンの腕を脱臼させて勝利した日」です!
1976年12月12日のアントニオ猪木
1976年に行われたこの試合。同年に、モハメッド・アリと闘うという偉業を成し遂げたことで、世界的な名声を得た猪木さんに対し、アクラム・ペールワンが対戦相手に名乗りを上げ、両者の異種格闘技戦が実現します。
パキスタンでは、レスリング一族の末裔として知られ、国民的な英雄だった(※諸説あります)というアクラムですが、試合が始まれば、数々の修羅場をくぐり抜けてきた猪木さんとの実力差は明らか。スタミナを消耗し、最後は、アームロックに捕らえられ、そのまま、レフェリーストップによる完敗を喫することに。
この時、アクラムが「ギブアップ」を口にしなかった為、仕方なく、猪木さんは関節を限界まで極め、腕を破壊。この時、腕の脱臼で悶絶するアクラムを尻目に、
「折ったぞ!」
と絶叫する姿がテレビでも放映され、猪木さんの狂気と残虐さ、そして、狡猾さを秘めた強さの部分……所謂”キラー猪木”を象徴する試合としてファンの記憶に強く残ることとなりました。
猪木対アクラム・ペールワンとは何だったのか?
明らかにプロレスとは違う異様な試合展開に、相手の腕が壊れて唐突に終わるというエンディング、そして、試合後にアクラムのセコンドや客席からの怒声が飛び交うこの試合は、様々な”伝説”に彩られており、猪木さんの経歴の中でも、異彩を放つ一戦となっています。
「プロレスの試合をする筈が、現地でのルールミーティングで揉め、何でも有りの格闘マッチになった」
「アクラムが噛み付きを行い、猪木は目潰しで応戦。結果、アクラムは片目を失明した」
「地元の英雄の敗北に観客が暴徒化。中には、ライフルを携えた兵隊もいて、新日本勢は死を覚悟したが、何とか、その場を収め、命拾いをした」
などなど。一説には、「試合に破れ、歴戦の猛者としての名誉を失ったペールワン一族は没落。アクラムは、後に自殺した」という話もあります。
いずれも真偽の程は不明ですが、外国で行った一戦をピックアップするだけでも、諸説入り乱れてしまうのが猪木さんの凄まじさであり、プロレスの奥深さということなのでしょう。
アントニオ猪木がアクラム・ペールワンの腕を折ったから、12月12日は、塩見周子担当さんのお誕生日(俵万智調)。
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