コロナ禍の中で、祖父母が亡くなった
今年の春の話だけど、母方の祖父と父方の祖母が、続けて亡くなった。コロナ禍の中で、二人とも旅立っていった。但し、どちらの死因もコロナではなかった。いや、コロナちゃうんかい。
享年。祖父、93歳。祖母、105歳。大往生。大往生過ぎて、哀しみは無かった。寧ろ、その年齢まで生きたことに対して、純粋に尊敬を抱いた。「凄いですね」以外の感想が出てこなかった。
僅か半月の間に立て続けに親族を亡くす
それだけ長く生きたのに、逝く時は、二人とも申し合わせたかのように、ほぼ同時期に亡くなった。具体的には、約半月という短い間に、立て続けに逝った。それぞれ、93歳と105歳という長寿を全うした祖父母が、こんな短期間に続けて亡くなるなんて思いもしなかった。だから、大変だったのだ。この春は。
何しろ、この特殊な世相だ。通夜や葬儀の席も色々と気を遣ったし、難儀もする。本当に特異な体験をした。
父方の祖母が亡くなった際は、所謂”家族葬”という形式になった。我が家と最期までお世話をしてくれていた叔父一家だけの通夜と葬儀。途中、縁のある人達が幾人か来てくれたが、100年以上生きた人間の別れの席とは思えないくらい静かで、そして、ミニマムなお別れになった。
正直、「これだけ長生きしたんだから、何も、こんなタイミングで亡くならんでも……」と思った。折角なんだし、華々しく送り出したかったが、こればかりは仕方がない。”密”を避ける為の”密葬”である。
反対に、母方の祖父の場合は、田舎のおおらかさというか、何というか、物凄く普通に葬儀が行われていてビックリした。斎場に消毒液が備わっていたり、全員がマスクを着用していたりと、勿論、”ザ・パンデミック”な景色ではあれど、基本的には、”通常運転”で場内には人が沢山入っていたし、式自体も簡略化が皆無で、全体の尺が一緒なのだ、平常時と。「え!? いいのコレ!?」である。密も密。
不謹慎だが、脳内で、ワイドショーで目にした「某国の宗教施設で、クラスター発生!!」という恐怖のニュースが頭を過ぎった。割と、いや、本気で、ちょっと怖かった。
祖父の場合は、このご時世なので、火葬場の予約も大変だったらしい。市だか県だかの指導で、夕方の5時とか、その位までしか火葬場が動いていないらしいのだ。当然、他に亡くなっている方々も、その地域にはいらっしゃるわけで、バッティングに次ぐバッティング。一番近い火葬場の予約が取れず、そこから離れた焼き場で、祖父とのお別れをすることになった。斎場からマイクロバスで移動しながら、「人間、生きていると色々な体験をするものだな……」とシミジミと思った。
バスの窓から見えた桜が、とてもとても綺麗だった。
コロナ禍が生み出す「老化の早送り」
たった半月の間に、「この人達は、自分よりも長生きするのでは……」と思っていた祖父母が相次いで亡くなった。当然、色々なことを考えた。
二人とも直接の死因は、コロナでは無かった。無かったのだけれど、間違いなく、コロナ禍の影響はあったのだと思う。特に、祖父の場合は、そうだ。
祖父はパチンコが好きだった。大きく賭けるわけじゃないから、儲けることも、反対に大損をすることも無かった訳だが、兎に角、若い頃からパチンコを打ち続けていたらしい。90歳を過ぎても、それは変わらなかった。代わりに、ずっと元気だった。
田舎は娯楽が少ない。自然と、パチンコ屋に人が集まる。すると、そこが社交場となる。祖父の場合は、その田舎のサロンたるパチンコ屋で発生する人との会話が刺激になり、結果的に、脳や身体の健康促進に繋がっていたのだ。
ところが、緊急事態宣言を受けて、遊技場が営業自粛となった。そうなると、どうなったか? 軽度だが認知症の症状が出始めたらしいのだ。それまで、ずっと元気だったのに。そして、結果的に、その認知症がもとで、不慮の怪我を負い、入院から間もなくして祖父は亡くなった。
大のギャンブル嫌いな自分だが、この時ばかりは、死ぬ前に大好きなパチンコで思う存分、遊ばせてあげたかったな……と思った。
こうしたコロナ自粛による高齢者の「老化の早送り」は、ありとあらゆる地域、家庭で起こっているのだろう。カルチャースクール、カラオケ、居酒屋。ご老人にとっての社交場が、地域社会で機能出来なくなったことによる弊害は、今後、アチコチで問題になっていくと思う。
“自粛”による停滞した生活は、確実に、高齢者の脳機能と身体を蝕んでいくだろうし、この先、コロナが落ち着いたとしても、各家庭に、もっというと世の中全体に暗い影を落とし続けるのではないかと自分は不安でならない。
僅か半月の間に、人が亡くなるのを2回も見た。葬儀に2回出席し、2回骨を拾った。流石に超脳天気人間な自分でも、憂鬱な気持ちで、これからの世の中のことを考えざるをえない。そんな出来事だった。
この記事へのコメントはありません。